気仙沼小学校・中学校への支援状況をこれまでの経過も一緒にまとめて報告いたします。
ユニチャリティーフェスティバルの支援金もこちらへの野菜として使わせていただいております。
<6月中旬>
3.11から3ヶ月経っても避難所の気仙沼中学校、小学校の食事事情は悪く相変わらず野菜不足は続いていた。ゴールデンウィーク過ぎまで食べ物の多くは菓子パンやレトルト食品で、たまに口に入る野菜と言えば、大根とニンジンのごった煮。避難所に来てから、まるごとのトマトなど見たこともないですよ。」と、気仙沼中学校の教室に避難していた民生委員の小野道子さんは言っていた。他の避難者のみなさんに話しを聞くと異口同音に野菜が食べたい、特に生野菜が食べたい、と言う。そしてNPOユニで野菜定期便を送ることになった。
<7月>
野菜の仕入れ先に苦労していたが、ようやく見つかった。築地市場で仲卸業を営む、築地産直ファームさんが、ありがたいことに利益抜きで協力してくださることになった。
こうして、被災地支援の一環として野菜定期便がスタートした。
築地市場から第一便が気仙沼中学校へ到着。約200人分ほどの生野菜サラダは、小野さんと避難所のみなさん、現地ボランティアの方々が協力して作られた。
中学校、小学校の調理室は使えなかったので仕方なく、校舎前の空き地でつくった。
真夏の炎天下、200人分の生野菜サラダ作りは苦戦していた。野菜が傷まないように、わずかの日影を探しては移動しながら作業で三時間かかったという。
「一人、お椀に一杯分くらいの量でしたが、震災後、はじめての生野菜サラダに避難所のみなさん感激して喜んでたべてました。ありがとうございました!」と。
<8月>
第二便、第三便、と順調に滑り出したが、予想もしてない出来事がおきた。役所から小野さんに指導がきたのだ。
「そんな屋外で野菜サラダを作って、もしも食中毒がおきたら、誰が責任取るんですか・・・。」と。
「そんな責任、私に取れる訳ないでしょ・・・!」と、悔しさと腹立たしさを抑え、涙まじりの声で言いかえした。
結局、生野菜を送ることは中止となり、変わりに根菜類を送ることになった。届いた野菜は、小野さんが避難所のみんなに配って歩いた。もちろん、じゃがいもやニンジンやごぼう、などを受け取っても避難所では調理できない。
避難所にはシャワーはあるが風呂がなかった。それで、たまに風呂をもらいに既に仮設住宅に移り住む親戚や仲間の家に行っていたのだが、その時に、受け取った野菜を持っていき調理してもらい、それを一緒に食べた。ほんのわずかだが仮設の人も喜んだ。
<9月>
最多時は500人はいたという避難所気仙沼中学校も、残り数十人の避難者を残すまでになった。
小野さんも、ようやく、待ちに待った仮設住宅に引っ越すことになった。しかし、喜んで引っ越す訳ではなかった。
妥協しました、という。人里離れた不便な山の中で日当たりも悪く、すりばち状の底に整地してできたテニスコート内に作られた仮設住宅で、当ったとはいえ入居拒否者が結構いるらしく結構空き室が目立っていた。
そんな時、待てど暮らせど仮設住宅に当選しない小野さんに、役所はこの仮設住宅に入居をすすめてきた。
何度となく、すすめられたが、もちろん断わり続けた。しかし長い避難所暮らしで12キロも痩せ気弱になった小野さんは、とうとう「避難所よりはマシか・・・」という心境にハマり、この不便で日当たりの悪い仮設住宅に住むことに決めてしまった。
<10月>
気仙沼中学校の教室で半年間、避難していた小野さんが、56人の避難者が住む市営テニスコート住宅という奇妙なな名称の仮設住宅に引越して一ヶ月が過ぎた。「仮設の回りは藪でマムシがよく出るし、玄関を開けておくと蟻が入ってくるし・・・すみません、愚痴聞いてもらって!」と、笑っていたが、しかし、ボヤいてばかりもいられなかった。
バス停から、仮設まで歩いて20分はかかり坂道を登らなければならない。道幅も狭く、冬になれば雪が積もっても除雪車が入ってこれそうもない。せめて除雪用道具を市で何とかしてもらいたい、と、住民のために小野さんは交渉している。
そしてまた、民生委員である小野さんは、高齢者が大半のテニスコート住宅を一件、一件まめに回っていて気づいた。
それは、一人暮らしの老人で鬱と痴呆の人が多くなってることだった。それもそうだろう、津波で家も財産も流され着の身着のままで避難所にたどり着き、ショックと絶望感を抱き、仕事もなく孤独で未来に希望もなく一日中、部屋に閉じこもっていたら・・・。
そこで、小野さんは、あるアイデアがひらめいた。呉服屋に生まれたの小野さんは娘のころから針仕事が得意だった。これを生かせないか。そして、集会所で、古い着物を利用してパッチワーク作りを教えることを思いついた。部屋に閉じこもりがちな高齢者を一人でも多く引っ張り出して、みんなで楽みながら少しづつ笑顔を取り戻し、少しでも生きる希望につながれば、との切なる願いからだった。
今、一日も早く、集会所でそんな願いが叶うように、NPOユニでは、メンバーに箪笥に眠っている着物を寄付してもらえるように声をかけ、集まった着物をお送りした。
それと、「・・・ミシンも流されたのでミシンも一台いただけたらありがたいです・・・いや、もし、できれば、三台あったら、みんな楽しめるのですが・・・ホントにもらってばかりで申し訳ないですが、どうか、よろしくお願いします。」と、電話の向こうで言った。
文:長谷川森















